市民球場の雨ざらしの観客席に、並んで座った。観客席といっても座席なんてなくてただの石の階段なんだけど、うちの高校の生徒は学校近くのここをよく利用する。
待ち合わせにも、昼寝にも、間食にもただまったりするんでも、この球場はうちの高校の生徒の憩いの場所である、が、幸いな事に今日は他に知った顔は見えなかった。 藤巻と俺は、1年の時のクラスメートで、俺は1年の時から実はずっと好きだった。 だから、たぶんまだ誰にもばれてはいないけど、ばれてからかわれて恥ずかしいとか言う時期はとっくに越してしまった、ように思う。 噂になって、それで上手く行くなら万事OK。 でも、噂になったせいで避けられるようにでもなった日には…後悔どころの騒ぎじゃない。だから、今まで俺は慎重に行動してきた。 でも今日は彼女からのお誘いだもんなー これを幸福と呼ばずになんと言う。 一人で待つ間にだいぶ落ち着きを取り戻した俺は、買ってきてもらったロールケーキをほおばりながら、にやけないように俯いていた。 藤巻は他にもサンドイッチと午後の紅茶とスナック菓子とアイス最中を買ってきてくれた。俺が空腹を訴えたせいだ。すばらしい。まったくもって気がきく人だ。 彼女はアイス最中だけ抜き出して食べ始め、450円受け取った。 俺があっさりとサンドイッチとロールケーキを平らげると、食べかけのアイス最中を割って下半分をくれた。 なんて和やかなカップルの図。……カップルなんかじゃないけど、まだ。全然。 More #
by ichimen_aozora
| 2006-07-31 21:50
| シグナル
大気中の空気のがのしかかってでもいるように、体が重たかった。
明け切らない梅雨の気配でグラウンドはしっかり乾かないまま、気温だけがどんどん上昇していく毎日は憂鬱で、それでも俺の生活は部活中心で回っていく。 早々に3年生が抜けたばかりの新チームはまとまりもなくぼろぼろだが、やっと俺たちの時代になったんだと思うと気がはやる。先輩たちが行けなかったインターハイへ、俺は絶対にたどり着いて見せようと思う。 ぐちゃぐちゃとまとわりついてくるぬかるんだ土も、湿った空気も纏いつかせたままで、俺は放課後の校庭を延々と延々と走って、ふらふらになって岐路に着く。 家に着いたら夕飯を食べてシャワーを浴びて寝るだけだ。そして翌日にはまた変らない毎日を、ふらふらになる一日を始めるわけだ。 別に飽きない。むしろ快適。 俺にはそういう単調な日々をこなす才能があるのかもしれない。 一刻も早く帰りたいのに信号に捕まって、俺はのろのろと自転車を降りた。自転車に半ばもたれるように信号待ちをする。 眠くて、腹が減って、それなのになかなか青にならなくて、ぼーっとしていたら、妙にけたたましく「とおりゃんせ」が鳴り響いて我に返る。自転車を引きづったまま、反射的に足を踏み出す。遅れてゆらりと上げた視線の先、横断歩道の向こう側に立つ姿にようやく気付いた時には、びっくりしてつい立ち止まってしまった。 同じように、自転車を横に引いて。 何で藤巻が?こんなところに?彼女の家は全然違う方面のはず。 別に喋ったこともないとか言う関係ではないけれど、予想外の展開というのは計り知れないもんだ。 俺はひどくに混乱していて上手く動けなかったけど、後ろから人が来る気配になんとかまた歩き出す。歩き出した俺に向かって彼女が小さく手を振った。かろうじて左手を上げて応えたけれど、それでも混乱の元は近づくばかりで、俺はあらぬ期待に目が回りそうだった。 何度も何度も想像した場面。 俺の部活帰りを、藤巻が待っていてくれて。ちょっと時間いい?とか、言っちゃって。 要するに、俺はそれくらい彼女が大好きだったわけで。 More #
by ichimen_aozora
| 2006-07-20 19:07
| シグナル
午後の日差しが柔らかい。昼食の後の5時間目、英語。あんまり面白くもない、一応異国語。確かに眠い。それは分かる。それは分かるけど。 斜め前方で、右手にシャーペン、左手で頬杖をついてだいぶ前からぴたりと静止していた背中が、重力に負けてがくっと前にのめる。はっとしたように一瞬顔を上げて時間を確認してからまたもとの姿勢に戻る。や、ダメだろうそれじゃ。また寝ちゃうだろうに、と見ているうちにまたぴたりと静止した。しばらくしたらまたがくっといくに違いない。 まだ入学したての4月だぞ。GWもまだだぞ。 その大胆不敵な寝姿をさらしているのは、あろうことか肩までかかる髪を流した女の子だった。空色のブラウス、ひだひだのスカートにハイソックス。まじめな女の子風服装なのに、彼女の居眠りは別に、俺が見る限り、今日が初めてなわけでもない。 「次、かたやまー。おーい片山」 教壇で英語教師がのんきに呼んでいる。 あーあ。やっぱり。気付いてたのなんて俺だけじゃないよな。ま、厳しい感じの先生じゃなくってよかったけれど。 片山さん、ねぇ片山さん、当てられてるよ。彼女の後ろの席の子が手を伸ばして突っつくと、えっと小さく間抜けな声を上げてようやく顔を上げた。 「では、35ページの18行目から最後の列まで」 起きたのを確認した英語教師が、特に気にした風もなく淡々と指示すると、彼女はしばらく目を彷徨わせた後に教科書を読み出した。たどたどしい、というほどではないけれども別に凄く上手くもない普通程度の発音で、ただ、さして大きくもない声はきちんと響いた。 恙無く読み終えて顔を上げたタイミングでまた指示が飛ぶ。 「じゃぁ訳して」 沈黙。彼女の背中が、またぴたりと静止した。 とりあえず、自分のノートに目を落としてみる。この先生、のんきな調子の割に想定よりもやたらに進みが速くって、ちょっとはやってきた予習の範囲なんてとうに超えていた。さっきから、必死に辞書を引いて作った訳文はたどたどしくっていまいちだ。 当てられた彼女は未だ沈黙。 ほーらみろ。こんな四月の初めから、寝てるから。 他人事ながら、しんと静まった気配にやきもきしていると、視界の端で彼女が、何枚かページを捲るのが見えた。 「…中世において……」 溜め込んでいた沈黙のことなどなかったようにしておもむろに口を開いた彼女が、淀みなく読み上げた和訳は、それはまったく、随分と綺麗な日本語だった。 はい、じゃぁ次、と教師の関心が移って開放されると、彼女はまた頬杖をついた。窓のほうを向いてしまって横顔は少しも見えないけれど、なんともやる気がなさそうな気配で。 でも、馬鹿じゃぁないんだな。綺麗な日本語、ていうか、完璧な予習? やわらかな春の日差しの中で、彼女は今日も、定まらない印象を纏っている。 More #
by ichimen_aozora
| 2006-06-30 03:37
| ひとり
突然に、彼女の髪が金色になってしまったあの頃、何があったんだろう?
「失恋でもしたの?」 「失恋したから髪型変えるなんて言い伝えみたいなこと、なんだか恥ずかしくてやんないわよー」 彼女は呆れた顔をしていって見せたけれど。 何かあったんだろうと思う。彼女は、自分の長くてまっすぐでさらさらした髪を、たぶん気に入っていたし大切にしていたんだ。 大事に大事にとっておいた自分だけの宝物を、自分の手でずたずたにしてしまいたくなる。それは、哀しみ?諦め?絶望? ぱさぱさと、少し傷んで外向きに跳ねている毛先。 何でもないように笑うけれどどこか空々しくて、僕はあの頃の彼女を見ているのは少しいやだった。でも、痛々しくて、危なっかしくて。どうしても、目を向けずにはいられなかった。 More #
by ichimen_aozora
| 2006-06-11 05:15
| 金色の時間
手元から、なにかが音もなく滑り落ちた。
「あ……」 「ん?」 「これ、写真……?」 束ねたレジュメの隙間からはらりと芝生の上に落ちたのは、一枚の写真だった。数人の少年が映っていて、私服だったけどたぶん高校生で、何人かが野球のユニフォームを着ていた。折り重なるように集まって、下のほうにいる子はきっと押しつぶされているんだろう、少し歪んだ顔で、一様に、無邪気に笑っていた。 若いってこういうことだよな、なんて、思ってしまうような。明るさと無鉄砲なエネルギーに満ちた、なんだかいい写真。俺が、年を取りすぎただけなのかもしれないけれど。 「あ……、こんなとこに……」 「いつの?」 「高校。それ、かして」 渡すと彼女はさっさと自分の鞄にしまってしまった。よく見もせずに、思い出に浸ることもなく。でもほんの少し丁寧に。そしてまた、さっきと変わらない様子で、ぼんやりと遠くの海に目を向けた。遠い港の、はじまりかけた夕焼け。 写真に、彼女は映っていなかったのが、ほんの少し残念だった。16、7の、彼女を見てみたかったのに。きっと可愛かっただろう。あんな風に、鮮やかに笑っていたのかな? あの写真は、彼女が撮ったのかな。 「ねぇ知ってる?夕焼けにはね、金色の一瞬があるんだよ」 彼女は前を向いたままふいに口を開いた。まるで俺などいないかのように傍若無人に、気まぐれなつぶやきのように。 「知らない」 「もうすぐ。もうすぐやから、見逃さないといいよ」 時田君にも見てほしいの、なんて、言ってくれたらものすごく嬉しいのに。 ばかげた夢みたいなものだけど。 More #
by ichimen_aozora
| 2006-06-10 01:00
| 金色の時間
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