図書館 (夏の記憶 vol.2)
 片山さんは、今日も窓際の一番奥にいた。
 小難しい顔をして、小難しい本でも読んでいるのだろう。
 入ってきた僕に気付いてちょっとだけ目を上げて、小さく会釈した。そしてまた本の世界に戻っていく。僕は、ぼんやりしたふりをして、彼女のふわふわと緩くパーマがかかった茶色い髪が、夕方の風に揺れるのを見ていた。
 僕は、片山さんが片山さんて言う事だけしか知らない。僕より2つ位上かなとは思うけれど正確な年齢も知らないし、六法なんか机に出してるから法学部の学生なのかなと思うけどどこの大学なのかは知らない。

 だいたいにして、こんな風にちょっとだけでも挨拶なんかするようになったのは物凄い偶然なのだ。確か1週間くらい前、図書館の駐輪場で、彼女が将棋倒しにした自転車を立て直すのに難儀していたのにちょっと手を貸しただけで。それって言うのも僕の自転車も巻き込まれて倒れていたからで。
 別に、彼女に近づきたくて手伝ったわけじゃぁないんだ、と言いたい。
 実は、部活を引退して図書館に通いだした夏休みの初めに見たときから気になっていたなんて事は、まぁ、この際、できれば目をそらしたい。
 とにかく僕は、そのとき初めて彼女に声をかけた。大丈夫ですか、と模範のように礼儀正しく。彼女はびっくりしたように笑ってありがとうと言った。
 それこそ模範のように感じが良くて、僕はそれからできるだけ毎日、図書館に通っている。





 目が合って、会釈をして、駐輪場で一緒になったりして、1週間で名前まで聞き出したのはなかなかいいペースだと我ながら思う。
 今は夏休みだし、僕の高校には制服がない。それにこの街には高校が幾つも在る。それでも僕をみて御園高校だとあっさりと言い当てたので、近所の人なのかもしれない。けれど、片山さんの言葉はどこか西の方の訛りが混じっていて、僕はますます、彼女がどういう人なんだか考えてしまう。

 ただとても、綺麗な人だと思った。特別化粧もしてないし、自転車に乗ってやってくるし、ジーンズにTシャツで服だってクラスの女子とさほど変わらない、と思うのに。
 何かが決定的に違う。例えば、ほんの少しそらした視線とか。頬杖ついて窓の外を見ている横顔とか。ほんの些細な瞬間が。クラスの女子なんかとは決定的に違って、彼女はずっと大人びている。
 今、もう、僕はクラスの女子なんかにはさっぱり目が行かない。
 予備校に集う他校の女の子にも。
 僕は、今、きっと、とてつもない片想いのさなかだ。


 僕は毎日図書館に通った。彼女も、だいたい毎日来ていた。いつもの、窓際の奥の席。
 僕は、油断するとふらふらと近づきたがる自分に対して無駄に意地を張っていたのと、ひどく気恥ずかしかったのとで、なるべく遠くに座るようにしていたのだけれど、いつだったか妙に混んでいた日に目が合った彼女が置いていた荷物を避けて僕に席を作ってくれて、それからは何となく向かいやはす向かいの席に座ったりしている。
 ただまぁ、さすがに隣は恥ずかしい。
 席が近くなるのに比例して、僕は彼女とほんの少しずつながら親しくなったように思う。
 閉館時間が来て席を立ち、ほんの一言二言でも話しながら席を立つ。
 暑いね、とか、甲子園始まったね、とか、とてもささやかな世間話だったけれども。
 僕はもう、その一言のために図書館に通っているようなものだった。
 もっとも彼女はえらく真剣な顔をしてなにやら勉強をしていたので、僕もつられてせざるを得なくて、そのせいか受験勉強は徐々に軌道に乗ってきた気がする。
 さすがに、延々と呆けたように、彼女の明るい色をした髪と、俯いた顔ばかり見ているわけにもいかなかったのだ。

 僕は、必要以上に彼女に何かを訊ねることはしなかった。
 彼女も別に、僕に何かを聞いたりはしなかった。
 ただ時々、僕が格闘してる問題集や塾のテキストを少し目を細めて眺めていた。

「受験懐かしいですか?」
「まぁ、まぁねぇ。でももう解けないなーたぶん。英語なんてひどいよ」
「片山さんて大学生ですよね」
「そうよ。なんだと思ったの」
「や、別に」
「え、てか、そんなに老けて見えてるの?もしかして」
「いや、そんなことないですよ。俺より二つくらい上かなーと、思って、いたけど」
 思ってはいたけど年齢不詳だ。制服なんか着てたら同級生に見えなくもない、かもしれない。わかんないけど。うちの学校制服ないし。
「二つ上…君いくつだっけ、18?だよね。高3だもんね」
 そうかーハタチかーそうかー、はやいよなぁ。彼女はそう呟いて笑った。
 なんだか静かな笑顔で、僕は、彼女より年下なのだということを、急に実感する。



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by ichimen_aozora | 2004-12-24 03:49 | 夏の記憶
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