西先輩 (夏の記憶 vol.8)
 それほど間が開いたわけでもないのに、久々に行った学校は、妙に他人行儀な気がして気恥ずかしい。
 夏休みのど真ん中。
 人気のない校舎と賑わっているグラウンドの対比を、僕は始めて外側から眺めていた。
 練習中の後輩が僕に気付いてちょっと挨拶をする。そしてすぐに練習に戻っていく。
 当然のことなのに、なんだかひどく淋しかった。
 疎外感。
 ああ、そうか、僕は引退したんだよな。
 代替わりした新チーム。僕はもうただのよそ者なんだ。
 バックネット裏にいた西先輩が僕に気付いて、例のごとく無邪気に手を振ってくれた。
「こんにちは。お疲れ様っす」
「お~。久しぶり。どうした?やってくか?気晴らしに」
「や、今日は、練習着持ってないんで。ちょっと見て、帰ります」
 そーかー?久々にやってけばいいのにさー、俺がノックやってやるのに、なんて言って、先輩は笑った。
 本当にいい人なんだなぁって事がよく分かる笑顔で。
 僕は、ほんのちょっとだけ来たことを後悔する。
 先輩には、何も、言わないままがいいのかもしれない。
 そのほうがきっといいのだろう。
 そうだとしても、でも僕は。
 僕は… 

「ねぇ先輩」
「んー?」
「先輩は、昔、好きな人とかいました?」
「昔って?」
「高校の頃とか」
「いたよ」
「どんな人ですか」
「手のかかる、困った奴」
「ふーん」
「何だよ急に」
「いえ、別に」
「ま、いいけど」
「その人は今、どうしてるんですか」
「さぁ……連絡、とってねぇしな」
「今も、好きですか」
「あ?もうずーっと前の彼女だぞ。おれ、いま、彼女いるぞ」
「うん、だけど、じゃあ、もうどうでもいいですか」
「いや、そんなことも、ないけどさ」
「元気だと、いいですね」
「そうだなぁ」
「もし……」
「ん?」
「もしその人が今、まだ先輩のこと好きだっていってきたら、どうします」
「言ってこないよ」
「だから、もし」
「もし、そうだとしても。言ってこないよ、そういう奴だ」
 正解です。先輩。凄いですね。
 片山さんは、確かにそういう人です。




「元気で、幸せで、やってんのかな、あいつ」
「そうでもないってわかったら、じゃあ先輩が幸せにするんですか?」
「え?」
「そんなつもりがないなら、心配したって、可哀想なだけですね」
「あいつがか?」
「ええ」
「そうなんか、な」
 先輩が少し遠い目をする。
 でも僕は、そんな遠い視線の先なんかに片山さんがいないことを知ってる。
彼女はもっと、ごくごく近いところにいて。
 たぶん今日だって、窓際の席で風なんか浴びているに違いないのに。

「よく、チャリに乗せたりなんか、しました?」
「うん」
「ステップに、立って」
「そう。御園じゃ定番だろ?付き合ったらみんな一度は後ろに乗せるよな」
 うちの高校はチャリ通が多い。彼女を後ろに乗せるのは、付き合ってるって証明みたいで、入学したての頃なんては、彼女とニケツで登下校する先輩なんかがうらやましくって仕方がなかった。
「デートとか、沢山したんですか?」
「いや、俺が部活で忙しかったから」
「ほっといて、怒りません?」
「なんだぁ?竹田。参考にでもするのか?最近噂だものなぁ」
「まぁ。そんなとこです」
 まさか噂になってるとは思わなかった。先輩にまで伝わってるとは。
 だけど先輩はその相手が誰かなんて事は何も知らずに、疑いもせずにまるで無邪気で。
言わなければこの人はずっと気付かないのだろう。
「そういうのはなぁ、怒らない奴だった。まったく」
「試合とかは」
「たまに見にきてたよ」
「夏の予選?」
「そう、それで、負けて。泣くんだ、人一倍、泣いてて、真っ赤な顔が地元の地元のケーブルテレビに映ってさ」
「でもそれって、いい、彼女さんですね」
「まぁな」
「いい、彼女さんだったんですよね」
「そうだよ」
「もう、だめなんですか」
「今更か?」
「はい」
「今更だろ」
 先輩、いい加減気づいて下さいよ。
 僕だって、これで結構ぎりぎりなんです。
 先輩は、正直でとてもいい人だけど、正直過ぎて、こういう話についてはかなり鈍感で見当外れだったりする。僕はいい。それにみんなも別に構わないだろう。僕たちよりずっと大人のはずの先輩のこんな一面は、むしろ微笑ましくて先輩をずっと引き立てて見せていた。そのせいあってか、年下の女の子からの支持は厚くて、今の彼女も、先輩からしてみれば2つ年下の人だ。
 僕はいい。みんなもそれでいいだろう。先輩はとてもいい人で、それは疑いようも泣く明白で。
「でも、俺じゃどうにもなんないんです」
 先輩は不思議そうに眺めている。
 その顔を見ながら、片山さんの事を考えていた。先輩の、こんな所が、あの綺麗で淋しい人にとっては、堪らなく愛しかったんだろうと。愛しくて、大切で、欠けがえなかったに違いないのだけれど、同時にひどくやり切れなかったんだろうと。彼女が大切に持ち持ち続けているには完全に純粋過ぎて、衝動的に壊したくなってしまったんだろうと。

「お前が?」
「マジなんですけどね、俺」
 先輩は、まだ、不思議そうな顔をしている。
 俺は初めて、先輩を、疎ましい、と思った。




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by ichimen_aozora | 2004-12-30 01:21 | 夏の記憶
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