アルバム (夏の記憶 vol.11 最終話)
 からからと水車が回るように、日々は滞りなく過ぎていく。
 巻き取られるように、残りの高校生活は短くなっていく。
 僕は、現役で受かろう、と思っていた。何か、なりたいものが見えているわけではない。将来の夢なんて分からない。でも多かれ少なかれそんなもんだろう?それでも大学に行こうと決めたからには、全力を尽くすべきだろう。
 僕は志望校を決めた。限界ぎりぎりの高い志望校。それでいいだろう、と思う。生きる道はまだ決められない。それでも、僕の未来は真っ白だ。

 赤本を探しに行った資料室の埃っぽい片隅で、昔の卒業アルバムが並んでいるのを見つけた。
 年代を辿って、4つ上の代のを取り出して広げてみる。
 ばらばらとページをめくった先で、僕は片山さんのポートレートを見つけた。
 写真の中の彼女は、背中まで届く黒褐色で真っ直ぐな髪をしていて、どこか不安定にこちらを見返していた。
 そして、見開きのページの左側には。
 今よりもずっと華奢な先輩がいた。

    なんだよ、俺といい勝負じゃねぇか…

 やっぱりどこか不安定な瞳をして。
 たぶん、そういう年頃なんだ。写真に撮ったらきっと、俺も。同じような眼をしているだろう。
 次々とページをめくっていく。部活紹介のページでは、先輩は野球部の、片山さんはソフトボール部のキャプテンとして写真の真ん中で笑っていた。

 そして、3年間の思い出を辿るコーナーの中で見つけた一枚の写真で。
 僕は、ああ、やっぱりな、と思う。
 それは、修学旅行の写真で。名所をバックにした記念撮影で。たぶん班行動中の5~6人の男女の集団の中で。片山さんが先輩の隣で笑っている、その隣で。どこか所在なげに戸惑ったように立っているのは兄貴だった。

    兄貴ってこんなだったっけ…?
 
 今よりもずっと子どもっぽくて頼りなさげで。隠し切れなかった繊細さが垣間見えるようで。
 
    あの人は、やめとけよ

 いつだったか夏の終わりに聞いた言葉。
 見せてくれなかった卒業アルバム。

    二人は学年公認のやたら有名なカップルで…
    誰も割っては入れなかったよ…

 僕はふいに思い出す。そういえば兄貴は陸上部だったんだ。

 ついこないだまで僕が、そしてずっと前には先輩と彼女が、ボールを追いかけていたグラウンドの周りを、兄貴はずっと走っていたんだ。
 まるでいとこ同士のようにどこか似通っていて仲が良かった二人を、遠巻きに見つめながら兄貴は。
 いったいいつまで…





 僕は静かにアルバムを閉じる。きっちりと棚に戻して、赤本だけもってそっと資料室を抜け出した。
 がらんとして薄暗い廊下。土曜日の放課後。建て増しを繰り返して迷路みたいに複雑な校舎のどこかで、誰かの声が遠くで響いて。

 僕は、ふいに、今を失いたくないと思った。

 彼らの3年間を思って少しだけ眼を閉じる。きっと僕と同じような日々を送ったのだろう。

 熱くて他愛なくてとどまらない日々を。
 だるくて繰り返しで戻らない日々を。
 この校舎のどこかで、声を響かせて。

 まるで同じようで、そして、もう、閉じてしまった3年間。

 人気のない静かな廊下。がらんとした土曜日の放課後。
 ずっと遠くで、高く硬質な音がする。聞きなれた、よく馴染んだ、なのにいつの間にか遠ざかってしまった綺麗な音。
 空を横切った白い放物線を、今もはっきりと思い描けるけれど。
 僕はもう、あの場所には戻れない。
 戻れないんだ。

 僕はまだここにいるのに。
 卒業はまだ先なのに。
 この強烈な懐かしさはなんだろう。
 残された時間。
 守られた空間。
 この古びて薄汚れた校舎を、愛しいなどと思ったことはないのに。

 ああ、僕は、卒業なんかしたくない。大学生になんかなりたくない。
 ここにいたい。この場所に。
 戻る事は出来なくてもせめて。
 不安定な眼をしたままで。
 静かに何かを諦める事や、繊細な自分をうまく隠す事の、やり方を上手く知らないままで。

 僕はじっと立ちすくんだままで。
 冷気が足元から這い上がる。
 あの真夏のできごとは、ずっとずっと遠い昔のような気がするけれど
 思い出す。憶えている。
 彼女の凪いだような透明な瞳を。
 先輩の突き抜けたような明るさを。
 兄貴の割り切ったような冷静さを。
 
 ああ、そうか。僕は。追いつきたくなんかない。
 彼らにはずっと、ずっと遠くでいて欲しいんだ。
 ずっと大人でいて欲しいんだ。


 窓の外で、ボールが舞い上がる音がする。
 土曜日は大学が休みだから、先輩は今日もその場所にいるだろう。
 片山さんはどうしているだろう。そういえば、彼氏とは上手く行ってるんだろうか。
 兄貴は今日もいつ帰ってくるかわからない。
 まるで予想もつかない彼らの日々は、いつの間にか身近になるのだろう。
 それはきっとまた、たわいもないような日々なのだろう。

 3年間、確かに同じ場所で生きていたはずの3人の、もう決して重ならない日々。
 ばらばらな現在と、もっと遠く離れてしまうのだろう未来。
 そんなことも、気にならないくらい当然のことになるのだろうか。

    感傷かな

 あの時掴み損なった彼女の内心を、僕はようやく少しだけ捕まえる。


 僕は真っ直ぐな廊下を歩いていく。ただでさえ分厚く重い赤本が、手の中で沈み込む。どこか遠くで声はしても、誰にもすれ違わないままで。
 僕はゆっくりと歩いていく。
 残り少ない日々に、そっと足跡を刻むように。
 初冬の午後の白く明るい日差しが、僕を透かして映りこむ
 束の間の淡い影が、廊下をなめらか滑ってゆく。
[PR]
by ichimen_aozora | 2004-12-31 21:55 | 夏の記憶
<< 幸せな日々 それから (夏の記憶 vol.10) >>