選択肢 (君の街 vol.4)
 俺たちは卒業し、そして予想通りに、それぞれがそれぞれの進路をとってばらばらに散っていった。
 あるものは地元に残り、ある者は東に行き、ある者は西に行った。
 就職と言う選択肢をとるものは今年もいなくて、数年のうちに皆が大学生になるだろう。高校時代という特別に聞こえる3年間はあっさりと幕を閉じ、俺たちは大学生や予備校生になった。
 俺は地元の大学に合格して、大学生をやっていた。
 滝は結局浪人して、地元の予備校に通っていた。
 そして片山は。関西の大学に合格して、この街を離れていった。片山は成績優秀だったから、その選択には誰も疑問を持たなかったし、誰も反対しなかった。

 片山は単身西に行き、あとには風のように内容のない些細な噂話だけが残っていた。
 他の誰も、何も、理由など考えなかっただろうし、そんなものは必要なかったのかもしれない。だけど、片山はもうずっと昔から、この街を離れることを決めていたようだったと滝から聞いた。
 片山は自分の家を、そしてこの街を、ずっと離れたかったらしいと言っていた。
 滝も詳しい事は知らないらしい。俺も特に、つっこんだ話を無理に知ることもないのだろう。
 どんな理由かは分からない。それでも、避けられない道がある。
 滝とのことを、考えなかったわけもないだろう。
 それでも、選ばざるを得ない選択がある。
 だって、俺はもう知っている。片山には痛みがある。決して見せはしないけれど、抱えて消えない傷がある。だからきっと、この街を出たのだろう。懐かしい風景の中に、親しい友人を置いて、付き合っていた人を置いて。

 片山には傷があったのだ。と言う事を、ようやく理解できる程度に、俺は大人になっていた。





「何で別れたんだ?」
「さぁなぁ」
「どっちから」
「向こうから。でも、もうだめだよねって言われた時には、もうだめだなって分かってたんだ」
「随分あっさりしたもんなんだな」
「そうだな」
「結局お前が振られたわけか。片山、他に好きな人でも出来たのか」
「さぁ。でも違うと思う。片山は、ただ言ってくれただけなんだよ」
「何言ってんだよ。お前ただ振られただけだろう?」
「俺たちはさぁ。でももうだめだったんだよ。俺が言えないからさ、片山が言ってくれただけなんだ」
 そう言った滝の横顔が余りにも静かで、俺はぐっと奥歯を噛み締める。
 油断したら、怒鳴りつけてしまいそうだった。
 なんなんだ、その割り切ったような顔は。
 そんなもんなのか、お前たちの3年間は。
 お前だけだったんだ、片山を捕まえられたのは。
 強張ったように曖昧だった笑顔を、緩やかにほころばせたのは。
 張り詰めていた絶対零度の一線を、堂々と踏み越えていったのは。
 他の誰でもなく、お前だけだったのに。

 ポケットに隠した手を、硬く握り締めて俯いていた。
 今にも、掴みかかってしまいそうだった、けれどぐっと握り締めた手は動かない。爪が手の平に食い込んでいく感覚に馴染みはある。けれど、俺は、この手を伸ばしはしなかった。彼女に近づきはしなかった。いつだって今みたいに、黙って眺めていただけだった。
 そんな俺には、滝に何か言う資格はきっとない。

 のしかかるような沈黙。でも滝は、俺の胸中なんて未だに気付かないままだろう。それが救いのような、腹立たしいような、割り切れない気持ちの中で揺れていたら、滝がふいにぽつりと呟いた。
「あいつさぁ、引っ越す前に、指輪が欲しいって言ったんだ」
「指輪?」
「そう。あいつの誕生日は夏だろう?だいぶ先だぞって言ったんだけどさ、誕生日を前送りにして指輪が欲しいって言ったんだ」
「まぁ、女の子だからな」
「そのときから、どこかで駄目になるような気がしてたんだ。今思うと」
「なんで」
「俺たちの間には何もなかっただろう?あったのはせいぜい電話回線ぐらいなんだよ。それも別に無駄話くらいにしか使わなかった。何かを介在させなきゃならなくなって、きっと俺たちはどこかずれていっちまったんだよな」
 片山は、それに縋ろうとしていたのだろうか。ひどく、不安に思っていただろうか。
「指輪…なぁ…」
「駅ビルで買ったんだ」
「高かった?」
「2500円」
「安いな」
「銀の一番安い奴。それでいいって言うんだ。薬指に嵌めて、凄く嬉しそうに笑ってたんだ。あいつが、そうやって、物に拘るの始めて見た」
 片山は、この街を離れていく側だったのだ。この街に残って、今までとさほど変わらないだろう近い未来をぼんやりと待っていた俺や滝とはわけが違ったんだ。
 崩れてしまうだろう予感は、滝よりずっと強かっただろう。それは、とても怖かっただろう。ここに残ればいい、と、何度も考えただろう。

 それでも。時には選べない未来がある。
 どれだけ願っても、避けられないような予感も。

「指輪なんて、やらなきゃよかったのかなぁ…」
 呟いた滝の声は弱々しくて、きっと、切実だった片山の事を思った。
 どうしているだろう。そして、その指輪は、どうしたのだろう。
 二人が、二人ともとても哀しいのだと分かっていた。それでも、俺は滝を羨ましいと思った。
 俺には、そんな痛ましくて鮮やかな過去や記憶すら何もない。
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by ichimen_aozora | 2005-06-25 02:20 | 君の街
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