ざっと、こすれるような音がして、狩野が勢いをつけて起き上がった。見渡せば他の部員はとっくに引き上げてしまっていて、コートには俺たち二人しか残っていなかった。
「田島、いい加減、帰ろうぜ」 「俺、今日待ち合わせなんだわ」 「誰と」 「だから、あれ」 さっき見えた辺りに適当に遠くを指差したけど、相川はもう走り去ってしまっていなかった。 「何でまた。別に何でもいいけどさぁ」 狩野がかすかに首を傾げる。 「あー。なんかな、今日告白してるはずなんだわ」 「はぁ?だれに」 「よう知らん。よう知らんけど、誰か、3年?」 「で、なんでお前が待ち合わせなわけ?」 「しらねぇよ。うまくいったなら喜びの声を。玉砕したなら涙の訴えを。話したいんだろ」 「…相川ってそういうタイプなの」 「結構ね」 「で、お前がそれを聞くの」 「だいたいな」 「お前真性のばかだろう」 大きく溜息をついて、狩野が隣で頭を抱えた。 そう思いながら、自分の代わりに誰かが滅入ってくれるのは、随分と救われるもんだなと思った。俺はもう、ストレートに表に出すわけには行かないから。俯いた狩野の頭を、ぼんやりと懐かしい気持ちで見ていた。 「たじまー」 甲高くはないよく通る声。目を上げるといつの間に戻ってきたのか、グラウンドの向こう側で、相川が大きく手を振っていた。 「呼んでるぞ」 「あぁ…たぶん。振られたんだろ。明るいから」 「何だそれ。よく分かるな。普通逆だろう?」 「ずっと見てきたからなぁ。あいつあれで、案外惚れっぽいんだよ」 釈然としないといった狩野の横顔を横目に見ながら、俺は小さく右手を上げて相川に返した。 「もう上がるからー」 振られたはずの相川が無駄な虚勢を張って明るく叫んで、綺麗なフォームでまた走っていく。 落ち込んでいないか傷ついていないか心配な半面で、俺は、今回も相川の恋路がうまく行かなかった事に安堵する。その相反する感情の狭間は暗くて狭くて不安定で、いっそどちらかに傾いてくれればいいのにと願うのに、俺は自分から迷い込むようにいつも、気付けば入り込んでしまう。 相川の色恋話はこれまでもさんざん聞いたけれど、たまにうまく言って付き合ってもそれも束の間で、今までうまく壊れてくれたから、俺はずっと、幼馴染のような保護者のような顔をしてそばにいられた。相川は失恋したときは必ず寄ってくるので、時々、ほんの時々、彼女の不幸を心待ちにしていたりする。 どうしてこんなところに嵌まり込んでしまったのか。どうしていつまでも繰り返しているのか。 考えるけれど分からずじまいで、でもきっと、俺は生涯、自分から手を放すことは出来ないだろう。 幸せになってもらいたい。だけど離れていかないで欲しい。 幸せにしてやりたい。だけど選んでもらえない。 ずーっとそうやって来た。 ずーっとこのままやっていけると思っていた。 だけど最近。何が変わったかなんて少しも分からないのに。 時々、相川のことが、直視できないほど眩しく見えて。だから。 そろそろ限界なんだ。ほんとに。 「なぁ狩野。まじで相川と付き合ってくんない?」 さり気なく。懇願に近かった。 どこかの誰か知らない奴に連れ去られるくらいなら。 偽善者な上に身勝手で、俺は本当にどうしようもないけれど。
by ichimen_aozora
| 2005-10-03 00:13
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