君の名を (vol.1)
 僕は、僕の目を奪っていった女の子のことをずっとずっと思っていた。
 きらきらと埃の舞う長い廊下突き当りで、西日を浴びて、立ち尽くしていた彼女のことを、僕は今でも、鮮やかに覚えている。
 妙に挑戦的で、ひどく気が強そうで、何故か退廃的で、そして、どこまでも呆然と絶望しているような。
 複雑に絡んだ感情は、一つの出口もないままに、自ら閉じた空気の中で、周囲を拒絶するほかなす術もなく立っていた。彼女は本当にひどい表情をしていて、僕はほおって置けなかった。

 あの頃の君の事を。僕は決して忘れないよ?
 もうあの頃の君は、どこにもいないけれど。





 僕たちは卒業し、無駄な抵抗をあざ笑うかのように着々と成長した。
 彼女はいつからか弾けるように笑い、花開くように開放された空気を纏い、いつのまにか、いつも誰かしらに囲まれていた。その強い視線の中に、躊躇いのない自信が覗いて、信じられる何かを見つけたのだと知った。たぶん彼女が、求めて止まなかった何か。それを漸く、そしておそらく初めて。手に入れたのだろう。

 どこかずっと遠い世界へ、君はもう、行ってしまったんだと思った。

 ああそうだ。君には笑顔が似合う。
 ずっとずっと、そうじゃないかと思っていたんだ。
 本当は、僕が。その役目を果たしたかったけれど。
 君が笑って、幸せだと思った。
 これでいいんだと思った。
 それは嘘じゃないんだ。


「あんたのこと好きだった子だっていたのに」
 そんなこと今更言われたって空しいだけで、だったら即行告白してくれれば誰だって快くOKしたのに、と嘯くと、佐々木はけらけらと笑った。空いた学食。学生憩いの場。
「あんたが鈍いのよー。それに、OKなんて出さないくせに。だからあんたは彼女が出来ないんだよ」
 うるさい余計なお世話だ。大体にして、一年前俺は佐々木に告白して見事玉砕した。
 俺に彼女が出来ないのはお前に振られたからだ、とはさすがにプライドが邪魔して言えなかった。今更、なかったことにしてくれるつもりならそれはとてもありがたい。
 ぐちぐち言われたら身が持たない。
「何いってんの。俺なんてものっすごい大安売りしてんじゃん。OK出しまくりですよ」
「とかいっちゃってさー」
 佐々木はわざわざ体を捻って俺の顔を斜めに見遣り、ついで視線をつま先から頭まで往復させた。
「何だよ」
「いやー…別に…」
「何だよ感じ悪い」
「で、大阪の子はどうした?」
 まるで用意されていたかのように差し出されたその言葉に、俺は思わず、固まった。

 大阪の子、というのは通称だ。
 大阪に行ってしまった女の子。
 大阪で暮らしている女の子。
 あの時、長い廊下の向こう端にいた女の子は、そんなに遠くまで行ってしまった。
 今はもう、走ったって届かない。
 きらきらした埃の向こうに、見ることも出来ない。

 本当は、君を名前で呼びたかった。
 振り返る君が、見たかった。

「奴は知らん」
「こないだ会ったんじゃなかったっけ」
「ちょっとすれ違っただけだろ」
「で?何話したの」
「別に。特には」
「今誰と付き合ってんだって?」
「振られたって。だいぶ手ひどく」
「すれ違ったにしては結構話してんじゃん?」
 佐々木はにやにやと笑い。俺はひどくばつが悪くなる。
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by ichimen_aozora | 2006-05-02 02:12 | 君の名を
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