君の名を (vol.4)
「あ…」
 ふいに佐々木は立ち止まる。
「ん?」
「彼女、名前は?」
「え?」
「名前」
「ああ。片山」
「片山、なに?」
「かおる。…呼んだことなんか、無いけどな」
 佐々木は何か、耐えかねたような表情に歪んだ。たぶん、笑ったんだと思うけど。
「呼んで、みれば?」
 佐々木の、言葉の趣旨が上手くつかめなくて、先を促すように黙っていた。
 佐々木が小さく首を傾げる。それでも視線は真っ直ぐに届いて、そういえば俺はこの視線が、気になって好きになったんだよなぁと思い出す。
 口を開く。高くも低くもない、聞きなれた佐々木の声。
「呼びたかったんなら、呼べばいいのに。案外、それで何かが、伝わるかもしれない」
「え…」
 俺は本格的に言葉を失う。
 佐々木はそんな俺を見て、やっぱり笑う。困ったように、静かに。
 何てことだ。こいつにまで、俺は敵わないんだと思い知らされる。
 じゃね、と短く告げてもう一度歩き出す。肩の辺りで振り返らないまま手を振って、今度こそ立ち止まらずに。






  とりあえず俺は項垂れてみる。それからさっきの佐々木みたいにテーブルに顔を伏せて蹲った。
 荷物を担いだ佐々木はいつも元気で、明るく笑って、人の輪の中にいて。どこか飄々としていて、その向こう側のことなんか考えたこともなかったんだ。
 佐々木が薄っすらと笑う。大きな荷物。遠ざかっていく後姿。
 ふいにやたらと遠くなってしまった印象。
 いつだって、皆に囲まれて笑いるのに。
 歪まない視線。
 賑やかな気配に巧妙に隠された裏側。
 ああ、佐々木は知っていたんだ。
 俺は、気付きもしなかったのに。
 きっと佐々木は分かっていて、それで、これで正しかったんだよねと笑ったんだ。

 一年前。

 俺は重ねていただけだった。例え無意識だったにしても。それでも。
 俺は重ねていただけだったんだ。

 彼女は今、どうしているだろう?楽しそうに、笑っているのだろうか?
 取り繕うように、見透かされることのないように。
 たとえ表だけでもいい。それでもいい。
 彼女が笑っていたらならいいと思う。

 君の名前を呼んだなら。
 君は振り返ってくれるだろうか?
 弾けるようなあの笑顔を、俺にも真っ直ぐくれるだろうか?

 君が見つけて失った大切な人とは、どうなっているんだろう?
 あの頃から、8年も経って。
 今、俺は、君の大切な人になりたい。
 本当は。ずっと、ずっと、なりたかった。

 どきどきしていた。じっと、顔を隠すように学食のテーブルに蹲ったまま。
 ゆっくり大きく呼吸する。ずっと、直視しないようにしてきた想いが。膨らんで、溢れて、広がっていく。
    君は今……

 目を上げる。半端な時間の学食は閑散としていて、見知った顔は見つからなかった。
 傍らの鞄を持ち上げる。部活の道具が重い。ずしっと肩に担ぎ上げ、出口に向かって歩き出す。

 何かが変わるだろうか。
 彼女は、とても遠くにいるけれど。
 会えることだって、ほとんどないけれど。
 それでも未だ、懐かしいだけの想い出なんかじゃないと認めたのなら。今更でも。
 何かが変わるだろうか?
 

 その前に俺は、佐々木に謝らなくてはいけないけれど。
 どうやって、伝えたらいいのかわからないけれど。
 彼女はそんな必要ないと軽くあしらうかもしれないけれど、それでも。
 俺はふがいなくて、だから、もう少し時間が必要だけれど。
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by ichimen_aozora | 2006-05-04 04:19 | 君の名を
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