横断歩道 (シグナル vol.1)
 大気中の空気のがのしかかってでもいるように、体が重たかった。
 明け切らない梅雨の気配でグラウンドはしっかり乾かないまま、気温だけがどんどん上昇していく毎日は憂鬱で、それでも俺の生活は部活中心で回っていく。
 早々に3年生が抜けたばかりの新チームはまとまりもなくぼろぼろだが、やっと俺たちの時代になったんだと思うと気がはやる。先輩たちが行けなかったインターハイへ、俺は絶対にたどり着いて見せようと思う。
 ぐちゃぐちゃとまとわりついてくるぬかるんだ土も、湿った空気も纏いつかせたままで、俺は放課後の校庭を延々と延々と走って、ふらふらになって岐路に着く。
 家に着いたら夕飯を食べてシャワーを浴びて寝るだけだ。そして翌日にはまた変らない毎日を、ふらふらになる一日を始めるわけだ。
 別に飽きない。むしろ快適。
 俺にはそういう単調な日々をこなす才能があるのかもしれない。

 一刻も早く帰りたいのに信号に捕まって、俺はのろのろと自転車を降りた。自転車に半ばもたれるように信号待ちをする。
 眠くて、腹が減って、それなのになかなか青にならなくて、ぼーっとしていたら、妙にけたたましく「とおりゃんせ」が鳴り響いて我に返る。自転車を引きづったまま、反射的に足を踏み出す。遅れてゆらりと上げた視線の先、横断歩道の向こう側に立つ姿にようやく気付いた時には、びっくりしてつい立ち止まってしまった。

 同じように、自転車を横に引いて。
 何で藤巻が?こんなところに?彼女の家は全然違う方面のはず。
 別に喋ったこともないとか言う関係ではないけれど、予想外の展開というのは計り知れないもんだ。
 俺はひどくに混乱していて上手く動けなかったけど、後ろから人が来る気配になんとかまた歩き出す。歩き出した俺に向かって彼女が小さく手を振った。かろうじて左手を上げて応えたけれど、それでも混乱の元は近づくばかりで、俺はあらぬ期待に目が回りそうだった。
 
 何度も何度も想像した場面。
 俺の部活帰りを、藤巻が待っていてくれて。ちょっと時間いい?とか、言っちゃって。

 要するに、俺はそれくらい彼女が大好きだったわけで。






 何とか渡りきったとき、俺はまだ全然平静なんて装えてなかったと思う。
 彼女が笑って、部活おつかれーと声をかけてくれても、ちょっと頷いただけだった。というかそれが精一杯だったんだ。何か喋ったら動揺があからさまになってしまいそうで。
 まぁもう充分ばればれだったとは思うけど。

「なに、してんの」
「待ってた」
「俺?」
「そう」
「いつからいたの、ここ」
「ちょっと前。15分くらい」
 彼女は俺を見上げて、ちょっと笑った。
「私だって、早川君の部活あがる時間くらい知ってるもん、実は」
 ああ、やばい…また眩暈がっ。
 俺だって。
 俺だって彼女の部活の予定ぐらいしっかり押さえてる。

 ちょっとだけいい?なんて、彼女が想像と同じような台詞を言うもんだから、俺はまた憮然とした表情で頷いた。
 緊張すると無愛想になるのはただの悪い癖だ。
「ごめん。急いでた?」
「いや、別に。平気」
 一刻も早く帰りたかったはずなことなんてあっさりと忘れてそう答える。高2の17歳なんてそんな程度には現金だ。
 その上更に、
「どっかはいる?俺、かなり腹減ってんだよね」
 なんて、言い出す始末。混乱も度を越すと上滑りし始めるらしい。
「ん、でもすぐだから……球場でいい?私、パンか何か買ってくるから」
 すぐ近くには市営の屋外球場があって、俺の家はその更に向こう。俺は近道のためにいつも球場の横を突っ切っていく。そんなことも、彼女はもしかして知っているのかな。
「先行ってて」
「あ、金」
「あとでいい」
「俺、ロールケーキがいい」
「?」
「なんだよ」
「甘いもの好き?」
「好き」
「へぇ…意外」
 彼女が軽々と自転車に乗ってコンビニを目指して行ってしまうと、俺はようやく大きく深呼吸した。
 動揺は収まらない。
 期待するなというほうが、無茶だ。
 
 夢よりすげぇ…
 
 疲労と期待と混乱で、まただいぶぼんやりとしていた。
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by ichimen_aozora | 2006-07-20 19:07 | シグナル
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