カテゴリ:ひとり( 28 )
葉桜の頃
    また寝てる……
 午後の日差しが柔らかい。昼食の後の5時間目、英語。あんまり面白くもない、一応異国語。確かに眠い。それは分かる。それは分かるけど。
 斜め前方で、右手にシャーペン、左手で頬杖をついてだいぶ前からぴたりと静止していた背中が、重力に負けてがくっと前にのめる。はっとしたように一瞬顔を上げて時間を確認してからまたもとの姿勢に戻る。や、ダメだろうそれじゃ。また寝ちゃうだろうに、と見ているうちにまたぴたりと静止した。しばらくしたらまたがくっといくに違いない。
 まだ入学したての4月だぞ。GWもまだだぞ。
 その大胆不敵な寝姿をさらしているのは、あろうことか肩までかかる髪を流した女の子だった。空色のブラウス、ひだひだのスカートにハイソックス。まじめな女の子風服装なのに、彼女の居眠りは別に、俺が見る限り、今日が初めてなわけでもない。

「次、かたやまー。おーい片山」
 教壇で英語教師がのんきに呼んでいる。
 あーあ。やっぱり。気付いてたのなんて俺だけじゃないよな。ま、厳しい感じの先生じゃなくってよかったけれど。
 片山さん、ねぇ片山さん、当てられてるよ。彼女の後ろの席の子が手を伸ばして突っつくと、えっと小さく間抜けな声を上げてようやく顔を上げた。
「では、35ページの18行目から最後の列まで」
 起きたのを確認した英語教師が、特に気にした風もなく淡々と指示すると、彼女はしばらく目を彷徨わせた後に教科書を読み出した。たどたどしい、というほどではないけれども別に凄く上手くもない普通程度の発音で、ただ、さして大きくもない声はきちんと響いた。
 恙無く読み終えて顔を上げたタイミングでまた指示が飛ぶ。
「じゃぁ訳して」
 沈黙。彼女の背中が、またぴたりと静止した。
 とりあえず、自分のノートに目を落としてみる。この先生、のんきな調子の割に想定よりもやたらに進みが速くって、ちょっとはやってきた予習の範囲なんてとうに超えていた。さっきから、必死に辞書を引いて作った訳文はたどたどしくっていまいちだ。
 当てられた彼女は未だ沈黙。
 ほーらみろ。こんな四月の初めから、寝てるから。
 他人事ながら、しんと静まった気配にやきもきしていると、視界の端で彼女が、何枚かページを捲るのが見えた。
「…中世において……」
 溜め込んでいた沈黙のことなどなかったようにしておもむろに口を開いた彼女が、淀みなく読み上げた和訳は、それはまったく、随分と綺麗な日本語だった。

 はい、じゃぁ次、と教師の関心が移って開放されると、彼女はまた頬杖をついた。窓のほうを向いてしまって横顔は少しも見えないけれど、なんともやる気がなさそうな気配で。
 でも、馬鹿じゃぁないんだな。綺麗な日本語、ていうか、完璧な予習?
 やわらかな春の日差しの中で、彼女は今日も、定まらない印象を纏っている。

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by ichimen_aozora | 2006-06-30 03:37 | ひとり
カンナ
赤い花。
あざかに。
青い青い空の下で
赤く赤く咲いた花。

あまりにも完全にに赤いから。
目を奪われる。
奇麗だな。
真夏のぬるい風に揺れて。
はらり、と散っても。

奇麗ね。

なにものにも混じることなく。
溶けることなく。
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by ichimen_aozora | 2005-08-29 03:00 | ひとり
シグナル
突風がふいた
舞い上がる髪がうるさくて払いのける
周囲に溶け出していたよう曖昧だった輪郭が
ふいに際だって色を持つ
漂うように霧散していた思考を内に引き込んでみれば
私はたったひとりだった

同じ形をした存在も
同じ色を持つ存在もなくて
私は鮮やかなほどにひとりだった

一対全ての対立はひどく頼りなくも
目を見張るほどに潔く

堅く目をつぶる
手を握る
それからゆっくりゆっくり開いた
自由に動く、この体が
全てで、そして、それでいい

世界はとても大きくて
私はひどく微小だけれど

私を作るこの輪郭が
小さく強く輝けばいい

生温い連帯を剥ぎ取って
埋もれていた光を見出だすように
今、強く

突風がふいた
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by ichimen_aozora | 2005-05-30 02:50 | ひとり
寄る辺ないまま
 何か大切なものをなくした気がする、なんて言うから
 大切なものを持っていたような気がするけれど。
 大切なものなんて。
 何が大切なものかなんて。
 まるで分からないのだ、ということに思い当たってしまえば。
 ひどく白々しい言葉に感じて目を伏せた。
 何も持っていない僕はそれでも
 毎日を懸命に泳いでいて
 何も持っていないからといって何かを
 盗み取ろうとは思わない。
 軽い軽い自分の存在を認めてもそれでも
 僕は誰かに成り代わろうとは思わないし
 空っぽだと指摘されて嘲笑されても
 僕は自分を捨てないだろう。
 大切なものなんかもっていたこともなくても僕は
 前を向いていけるのに
 大切なものを持っていた人が何を
 怖がって
 進まないのだろうかといぶかしむ。
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by ichimen_aozora | 2005-05-17 14:55 | ひとり
青空
夏が遠いので
こころはとても穏やかです
空気が冷たいので
体はとても安らかです
空だけがひどく青くて
勘違いしそうになるけれど
真夏の空の青い色を
本当はよく憶えていません
空だけがひどく青いけれど
真夏の色とは違うのでしょうか
本当はよく憶えていないので
勘違いしたいのは感傷でしょう
葉が散りきった桜の枝が
白く浮き出して青に映え
まるで雲もなく底もなくどこまでも突き抜けるので
目を外す機会を失って
いつまでもぼんやりと眺めていました
ずっと寒ければいいのにと思います
冷たい風に晒されていれば
何も溶け出さずにすむのに
ざわめきも記憶も遠いまま
静かに凍っていられればいいのに
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by ichimen_aozora | 2005-01-16 02:53 | ひとり
雪あかり
 眠ろうと思って眠れなかった朝に近い深夜、まだ明けてはいないはずの曇りガラスの外の景色が妙に明るかったので窓を開けてみたら、天気予報を無視して、しんしんと雪が降っていた。
 気付かなかっただけでだいぶ前から降っていたらしく、道路も樹も隣の家の屋根ももう薄っすらと白く覆われていて、ほんの少しの街灯のひかりをそっと跳ね返していた。

 雪が降るとなんだか得したような気分になる。

 朝になって出かけなければならないときには寒くて濡れて歩きにくくて面倒なだけなのに。
 こうして安全で暖かな部屋の中から見ているだけの雪はただ白くて穏やかで、街の音を吸い込むように、私のこころの雑音もさり気なく吸い込んでいく気がする。
 誰も踏み荒らしていない朝に近い深夜。
 何の跡もないただ滑らかに平らな世界が、しんしんと厚みを増していく。
 押し寄せてくる静けさは決して重たくも不安を掻き立てることもなく、細かく震え続ける内心の表面をそっと宥めるように隠すように、私の中に積もっていく。

 ああ、もうすぐ夜が明ける。

 世界がざわめきだす予感に、たった今出来上がっている白い世界が乱されるのを感じて切なくなり、それでも少しだけ安堵する。

 もうすぐ夜が明ける。
 眠らなければ。

 ふと思い立って窓を開けてみたら外は驚くほど冷たかった。
 慌てて閉めるその直前に大きく息を吸ったら、肺の奥に入り込んだ空気が冷たすぎて少し痛んだけれど、しんしんと私の中に積もっていた静けさが丁度よく満たされたような気がしたので、何となく満足して窓をきっちりと閉めて鍵をかけて、カーテンを引いた。
 上手く眠れなくても、横になって目を閉じよう。
 今、せっかく私の内側に積もったものが出来るだけ乱されないように、完全に明るくなるまでそっと、横になって静かに身を潜めていよう、と思った。
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by ichimen_aozora | 2005-01-10 02:56 | ひとり
冬眠
ずっとずっと遠いまま
永遠に会うこともないままで
きっと君の記憶を
閉じ込めてしまいたい
春が来る前に忘れてしまいましょう
君の名前も
君の声も
君の影も
君の気配も
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by ichimen_aozora | 2005-01-07 03:54 | ひとり
遠まわり
 冷たい雨が降る中を
 傘をかかげて早足で歩く
 何かに追われる様な日々の
 ただの一日だったのに
 ふと何かが記憶をかすめて
 気になって足を止める
 なんだっけ、この感覚は
 立ち止まった私を避けるように
 人の波は流れ続けて
 雑踏の中でただ一人
 ざわめきの中に包まれた静寂


 
 ああそうか、これは雨の匂い
 部活帰りの遅い放課後
 気付いた途端に包まれる
 冬の冷たい雨の匂い
 ジャージを詰め込んだかさばる鞄を
 背中に斜めにかけて
 濡れるままに自転車を走らせた
 待ち合わせの公園まで
 駆け下りていく長い坂道
 傘なんかなくて、お金もなくて
 時間だけもって君に会いに行くんだ
 凍えた手と冷たい髪の記憶



 雨の匂いなんて、とっくに忘れた気がしてたのに
 こんな人ごみの中では、気付くことすら稀なはずなのに
 静寂も、夕暮れも、風をきって走る感覚も
 どこか遠くに置いてきたはずなのに
 そうして私は大人びて
 毎日はせわしなく
 感傷なんか切り捨てて
 捕らわれないようにしてたのに

 簡単なもんだよな
 ひどくあっさりと
 無駄な抵抗をあざ笑うよう

 今更子どものように
 引き込まれてもいいのだろうか
 たまには昔のように
 時間だけ持っていた頃のように
 冬の雨の中の沈むような静けさに
 留まってみてもいいのだろうか
 ほんのしばらく
 
 私はそっと歩き出す
 そして次の角を左に曲がった
 脇道に逸れて、雑踏から抜け出して
 傘を肩にかけてくるりと回した
 少しくらい濡れても構わない
 ここに自転車はないけれど
 待ち合わせの約束もないけれど
 雨が私を包むから

 見飽きた道を外れていく
 ほんの少しだけ遠回り
 知らない景色が後ろに流れる
 あてもないまま真っ直ぐに

 雨の匂いと
 忍び込んでくる冷たさと
 くるりと回した傘の色が
 ひどく鮮やかで

 怖くはない
 淋しくもない
 見知らぬ道も
 一人の時間も
 怖くはない
 淋しくもない
 孤独で凛とした束の間の迷子
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by ichimen_aozora | 2004-12-09 16:32 | ひとり
深夜
 子供の頃はずっと
 こんな風に震えていたよな
 ままならない日々と自分を
 持て余しては
 一人勝手に
 苛立っていたんだ
 


 冷蔵庫を開ける
 冷えたアルコールに手を伸ばす
 大人になるのは安直な事だな
 こんなに簡単に
 逃げ道が見つかるのなら

 膝を抱えてただ震えていた、あの頃の自分を思いながら
 大きくあおった一口の苦さが
 情けなくて
 ああ、もう、
 耐える事すら出来ないのだ
 こんな夜に
 一人蹲る事にすら
 私は…

 冷えたアルコール
 強制的に麻痺していく
 ほっとして目を閉じる
 大人になるということは
 鈍っていくと言う事か…

 落ちていく感覚に身をゆだねながら
 もう二度と
 戻れない
 あの頃には
 もう戻れないんだ

 揺らめいていく想い出を
 鮮烈な風景を
 記憶の中に抱えているだけ
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by ichimen_aozora | 2004-12-07 12:52 | ひとり
指針
 斜めに切り取られて歪んだ空が
 ビルの隙間からとても青くて
 そうだ、久しく見上げる事すらしなかったのだと思い出した
 都会の空気は汚れていると聞くけれど
 僕もだいぶ馴染んでしまった
 海も山も空も見えない街でも
 僕はそれなりに元気にしている

 故郷を捨てたつもりはないけれど
 もう戻れないのかもしれないな
 卒業したら帰ると言って出てきたけれど
 あんな完璧な静寂と暗闇の中で
 僕はもう眠れないかもしれない
 狭くて暖かくて優しくて近すぎる関係の中に
 きっともう居場所が探せない

 都会に憧れて飛び出したわけでもないけれど
 こんな場所だとは予想もつかないでいた
 故郷はいいところだと人には言えるけれど
 僕は喧騒と雑踏の中で
 孤独と自由を知ってしまった
 生まれ育ったあのまちを
 淋しいとすら思ってしまうんだ

 懐かしくないわけもない
 置いてきた人もいる
 親しかった友人も
 まるで健やかだった子ども時代も
 あの場所には全てがあるけど
 消えないままに残っているけど

 水平線はもう見えない
 海に溶ける朝焼けも
 青空に映えた緑濃い山も

 それでも決して忘れないだろう

 色鮮やかな記憶を胸に
 ざわめきの中に踏み出していく
 無数の人ごみの中で
 僕が紛れて消えてしまわないように

 色鮮やかな記憶を胸に
 コンクリートの狭間を抜ける
 モノクロの視界の中で
 僕を見失ってしまわないように
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by ichimen_aozora | 2004-11-14 04:19 | ひとり