手元から、なにかが音もなく滑り落ちた。
「あ……」 「ん?」 「これ、写真……?」 束ねたレジュメの隙間からはらりと芝生の上に落ちたのは、一枚の写真だった。数人の少年が映っていて、私服だったけどたぶん高校生で、何人かが野球のユニフォームを着ていた。折り重なるように集まって、下のほうにいる子はきっと押しつぶされているんだろう、少し歪んだ顔で、一様に、無邪気に笑っていた。 若いってこういうことだよな、なんて、思ってしまうような。明るさと無鉄砲なエネルギーに満ちた、なんだかいい写真。俺が、年を取りすぎただけなのかもしれないけれど。 「あ……、こんなとこに……」 「いつの?」 「高校。それ、かして」 渡すと彼女はさっさと自分の鞄にしまってしまった。よく見もせずに、思い出に浸ることもなく。でもほんの少し丁寧に。そしてまた、さっきと変わらない様子で、ぼんやりと遠くの海に目を向けた。遠い港の、はじまりかけた夕焼け。 写真に、彼女は映っていなかったのが、ほんの少し残念だった。16、7の、彼女を見てみたかったのに。きっと可愛かっただろう。あんな風に、鮮やかに笑っていたのかな? あの写真は、彼女が撮ったのかな。 「ねぇ知ってる?夕焼けにはね、金色の一瞬があるんだよ」 彼女は前を向いたままふいに口を開いた。まるで俺などいないかのように傍若無人に、気まぐれなつぶやきのように。 「知らない」 「もうすぐ。もうすぐやから、見逃さないといいよ」 時田君にも見てほしいの、なんて、言ってくれたらものすごく嬉しいのに。 ばかげた夢みたいなものだけど。 遠くで揺らめく魚の鱗みたいな海面の一枚一枚が、キリンみたいな建設機械が、小さな船影が、水平線が。隙間なく埋まった町並みが、雲が、木々が、芝生が。少し遠くに放った俺の鞄が、彼女の靴が、横顔が、髪が。 ランダムに、でも一斉に、きらきらと金色に染まり出したのは突然だった。本当に突然に、そしてあっという間に、何もかもは金色に。 「ほらね、金色」 「うん」 「きれいじゃない?」 「きれいやね」 ふふふ。彼女は小さく静かに微笑んだ。それはあの写真の中には決して馴染まない種類の微笑み。もっと完成されていて上品で、その上少し物悲しくて。 「この一瞬に出会うと、いつも、世界は物凄くきれいなのにって、思った」 そして大きく深呼吸をして、立てた膝を抱えなおした。 「物凄くきれいなのに、ただ気付かないだけね」 僕は彼女の髪の色に見とれていた。淡く金髪に近い茶髪はその金色の夕日の中で、何よりも一番煌いて見えた。きらきらときらきらと、滑らかに輝いていた。 たしか去年の夏だった。 彼女が、背中まで届く長かった髪を肩より上でばっさりと切ったのは。 それまでの彼女は金髪なんかじゃなかった。もとから少しだけ色素が薄いのだろう、暖かみある少し茶色い髪は、さらさらで、傷んでなんかなくて。長く伸ばした髪はまっすぐに肩から背中へ流れていたのに。 彼女はばっさりと短くするのと同時に、ずいぶん思い切ってブリーチしてしまった。ある日突然に、お嬢さん風な長い黒髪がヤンキーみたいな金髪のショートになっていたのだから、一瞬誰だかわからなかったのも無理はなかったし、あっけにとられて見入ってしまったのも無理はなかったと思う。 「なによー」 「いや、別に……でも……それにしてもすごいね」 「へん?」 「変やないけど、変な感じ」 「変なんじゃん」 「いやぁ、あまりにも見慣れてへんからさー」 彼女は左手で、すっきりしてしまった首筋へと短い髪を撫で付けながら、へんかなー、やっぱ変かなー、と不安そうにつぶやいていた。 変じゃないけど、片山さんは長いほうが似合うと思う。正直な意見を述べると、彼女はあごを少し上向けるようにして、短く、知ってるよ、と言った。なんだかませた生意気な子供のような瞳をしていた。 もしかしたら僕と彼女の間には、恐ろしく明度の高いガラスの壁があるのかもしれない。彼女はその壁の向こう側から、得意そうな、見透かしたような、温度の低い視線を投げかける。でも彼女はたぶん、僕に対して軽んじてるとか馬鹿にしているとかそういう思いを持っているわけではないのだ。 本当に尋ねたいことはいつも核心に近すぎて、いつだって、口に出すことさえ出来ないんだ。 「長さは仕方ないとしても、色はね、なかなかいいと思うんだけどなー」 色が白い彼女に、その淡い色合いは、まぁ見慣れない違和感を克服すれば、確かに、よく似合っていないこともない、かもしれない。 「うん、悪くないよ」 「でしょー?」 彼女は得意げに満足げに笑った。 笑顔が上手な人だ。いつだって、その笑顔の裏側なんて僕には察せないし、本物かどうかすら、わからないんだ。
by ichimen_aozora
| 2006-06-10 01:00
| 金色の時間
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